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大阪高等裁判所 昭和56年(ラ)101号 決定 1981年4月06日

抗告人

大阪拘置所長

檜垣雄三郎

右指定代理人

浅尾俊久

外四名

相手方

山田順一

右訴訟代理人

武村二三夫

外六名

主文

原決定第一項を取り消す。

相手方の別紙(二)の物件についての文書提出命令の申立を却下する。

本件文書提出命令申立費用および抗告費用は相手方の負担とする。

理由

一抗告の趣旨は主文第一、二項と同旨であり、抗告の理由は別紙(一)のとおりである。

二当裁判所の判断

(一)  記録によれば、本件訴訟は、相手方が警察官から暴行を受け腰椎左横突起骨折等の傷害を負つたとして大阪府に対し国家賠償法一条一項により損害賠償を求めるものであり、本件文書提出命令の申立は、相手方が抗告人の所持する別紙(二)の物件につき民事訴訟法三一二条三号に基づき提出命令を求めるものである。

(二)  そこで、右診療願、診療録、X線フィルムが民事訴訟法三一二条三号所定の文書にあたるか否かについて判断する。

1  民事訴訟法三一二条三号前段の「文書が挙証者の利益のために作成された文書」とは、その文書により挙証者の法的地位、権利、権限が明らかにされるもの、同号後段の「挙証者と文書の所持者間の法律関係につき作成された文書」とは、挙証者と所持者間の法律関係自体およびこれと密接に関連する事項について記載されたものを指すものと解するのが相当であるが、それが、もつぱら所持者の自己使用のために作成されたものであるときは、たとえその文書に挙証者の利益となる事柄や、挙証者と所持者との間の一定の法律関係に関する事項が記載され、また文書の直接の作成者が挙証者であるとしても、それは本号の文書に該当しないというべきである。

2  そこで右の観点から右各物件につき順次検討を加える。

まず、診療願についてみるに、抗告人の主張およびその提出にかかる資料によると、診療願は被収容者から拘置所に対する種々の願いごとや届出をなすために用いられる連絡用のメモ用紙である願箋のうち内容が診療に関するものであるが、願箋については様式は定まつているものの、その作成自体は法令上の根拠に基づくものではなく、内部達示「収容者生活のしおり」により指導されているに過ぎないものであり、また必ずしも願箋によらなければならないものではなく、口頭ですることも差支えないとされていること、そして、被収容者から提出された願箋は診療録や身分帳簿に添付されて当該文書の一部として取扱われ、また、右願箋には警備上機密とすべき被収容者の舎房名が記入されているばかりでなく、願箋の処理に関し関係職員の処遇上・警備上の意見が書き加えられることもあることが認められ、これらの事実に徴すれば、本件診療願いは相手方作成にかかるものではあるが、もつぱら抗告人の自己使用のために作成された文書であるというべく、民事訴訟法三一二条三号前段、後段所定のいずれの文書にもあたらない。

次に診療録についてみるに、一般に診療録は医師の診療行為の内容や所見等を記載した文書であるが、通常の診療行為が医師と医療を受ける者との間の契約に基づいてなされるものであるのに対し、拘置所における診療行為は、被収容者の健康保持のため管理者が監獄法四〇条に基づいて職務上の義務として行なうものであり、必要があるときは被収容者の申出の有無にかかわらず行うべきものである。そして収容者診療録取扱規定(昭和四五年一一月二六日法務大臣訓令矯正第一〇六号)三条によると、医師は収容者を診療したときは遅滞なく診療に関する事項を所定の様式の診療録に記載しなければならないとされているところ、抗告人の主張によると右診療録には単に診療上の所見だけでなく、処遇上・警備上参考となる事項、例えば「粗暴性があるので注意すること」とか「虚言癖があり好訴性が強い」などの記載や前記願箋と同様被収容者の舎房名の記載がなされる取扱いとされているほか、他の医療機関や官庁との連絡内容等が記載される場合もあることが認められ、これらの事実に徴すればもつぱら被収容者の処遇経過を把握するために作成された内部文書であるというべく、これまた民事訴訟法一三一条三号前段、後段所定のいずれの文書にもあたらない。

一般にフィルムそれ自体の証拠方法としての性質、したがつて、それが民事訴訟法三一二条の適用があるか否かについては問題のあるところであるが、X線フィルムは診療のために作成(撮影)されるもので、診療録と一体をなすものであるから診療録と同様の性質をもついわゆる準文書というべきところ、診療録が前記のような性格のものである以上、右フィルムもまたもつぱら抗告人の自己使用のために作成されたものであり、民事訴訟法三一二条三号前段、後段所定のいずれの文書にもあたらないといわざるを得ない。

(三)  なお附言するに、民事訴訟法三一二条三号所定の文書に該当するものであつても、その提出によつて侵害される所持者の秘密、公共の利益を保護すべき必要性と当該文書提出の必要性を比較衡量し、前者が後者に優るときはその提出を求めえないと解するのが相当であるところ、記録によると相手方の症状についてはすでに昭和五三年八月四日付大拘丙収第八三二号「診療録の送付について(回答)」をもつて本件診療録のうち管理ないし処遇上の記載を除く病状の大要を記載した書面(病状回答書)を原裁判所に送付ずみとなつていて、相手方としては一応立証の目的を達していると考えられるのみならず、なお不十分な点については照会によつて、抗告人においてさらに詳細な回答をする用意のあることが認められるから、相手方にとつてあえて本件各文書の提出命令を求める必要性はそれほど大きいとはいえない。これに対し、本件各文書には前記のように管理上、警備上の記載がなされていて、これが提出され公開されるとすれば、これにより拘置所の管理運営に重大な支障が生じるおそれがあることが明らかであり、その提出を免れることによつて受ける抗告人の右利益は提出されることによつて受ける相手方の利益を上廻るものというべきである。そうすると、右の点からいつても相手方は本件各文書につき提出命令を求めえないことになる。

(三)  以上のとおりであるから相手方の抗告人に対する本件文書提出命令の申立は失当として却下すべきであり、これと判断を異にする原決定第一項は不相当であつて本件抗告は理由がある。

よつて原決定第一項を取り消したうえ別紙(二)の文書に関する提出命令の申立を却下することとし、本件申立費用及び抗告費用を相手方に負担させることとして主文のとおり決定する。

(今富滋 坂詰幸次郎 野村利夫)

別紙(一)

〔抗告の理由〕

一 民事訴訟法第三一二条の文書について

1 現行民事訴訟法下においては、当事者が自己の手元にある証拠を提出するか否かは原則として、当該当事者の自由であり、文書についてもこれを法廷に提出して当該文書を相手方ひいては一般公衆の了知するところとさせるか否かの処分権は、一般的には右文書の所持者に専属するところ、民事訴訟法第三一二条は右原則に対する例外として、挙証者と文書所持者とが、その文書について同条所定の特別な関係を有するときにのみ挙証者の利益のため当該文書の所持者の右処分権に制ちゆうを加えようとするものと解すべきである(大阪高裁昭和五四年(ラ)二八二〇号、昭和54.9.5民五部決定、判例時報九四九号六六頁)。

2 ところで、民事訴訟法第三一二条第三号前段該当の文書とは、後日の証拠のために挙証者の法的地位や、権利ないし権限を証明するため作成された文書及び、挙証者の権利義務を発生させる目的で作成された文書をいうものであり、同条第三号後段にいう「法律関係」とは、もともと契約関係を前提として規定されたと解されるから、そこにいう法律関係につき作成された文書は、当該法律関係そのものを記載したものに限られないものとしても、その成立過程で当事者間において作成された申込書や承諾書等法律関係に相当密接な関係を有する事項を記載したもののみをいうものである。

3 そして、また、文書所持者が単に自己使用のために自ら作成し、又は第三者に作成させた文書は、例え、それに前記のごとき一定の法律関係に関する記載が包含されていても、同条第三号後段の文書には該当しないと解される(大阪高裁昭和五五年(ラ)第五一九号、第五二〇号、昭和55.11.20民五部決定)。

4 文書提出命令の決定がなされた文書即ち、昭和五二年一月二八日付診療願(願箋)、診療録及びレントゲンフィルム(五枚)は、同条第三号前段及び後段に該当する文書即ち右各文書が前記一の2の目的で作成された文書と解すことはできず、後記のとおり文書所持者が自己の職務を行う便宜のために作成し、専ら行政庁のための内部的な文書にすぎないから、文書提出の義務はないものである。

二 願箋、診療録、及びレントゲンフィルムについて

拘置所における診療行為は、一般社会における患者と医者の準委任契約によるものではなく、拘禁生活における被収容者の健康保持のため、拘置所の医師(以下「医師」という。)が、監獄法第四〇条に基づき職務上の義務として被収容者の願出の有無にかかわらず、疾病にかかつていると思われるとき行うもので被収容者との法律関係によるものでもない。

ところで、文書提出命令の決定がなされた願箋、診療録、及びレントゲンフィルムは、専ら被収容者を診療する上において作成されるものであり、処遇経過を記録している身分帳簿同様秘扱いとすべき重要な内部文書である。

1 願箋について

願箋は、被収容者から拘置所に対し、もろもろの願いごとや、届け出をなすために用いられている連絡用のメモ用紙であり、診療に関して特別に定めたものではない。また、様式は一定のものを使用しているものの規程等で定めたものではなく、内部達示、「収容者生活のしおり」において願いごとや届け出をなすときは願箋又は口頭で行うよう記載のうえ、指導告知しているに過ぎず、被収容者の利益のために作成したものではなく、また、被収容者の権限又は権利を示すために作成させているものではない。

一方、当該願箋は処理されると診療録や身分帳簿に添付され、当該文書の一部として取扱われるものである。

また、被収容者から提出された願箋には、その処理及び本人の処遇に関する意見が記載される等、あくまで内部的に使用する目的、即ち、自己使用の目的で作成される文書であり、かつ、機密性を有するものである。

2 診療録について

拘置所の診療録(以下「診療録」という。)は、医師が被収容者を診察した際、作成した文書で、右診察時における被収容者の健康状態、それに対する担当医師の所見、措置等が記載されているものであり、右文書所持者と挙証者たる被収容者との関係において、後日の証拠のために被収容者の法的地位や権利ないし権限を証明するため作成されたものとも、また、被告人の権利義務を発生させる目的で作成されたものともいい得ない。

診療録は、一般的な医師法第二四条ないし保険医療機関及び保険医療担当規則第二二条に基づく診療録とは根拠及び性質を異にし、拘置所の自己の使用のためにのみ作成された文書(昭和四五年一一月二六日矯正甲一〇六〇法務大臣訓令参照)に過ぎないものであり、一般病院において作成される診療録とは様式等も異るものである。

即ち、前記二の冒頭部分で述べたごとく、専ら処遇経過を把握するための内部文書であり、身分帳簿同様秘扱いとすべきものである。

3 レントゲンフィルムについて

レントゲンフィルムそのもの自体は診療に関する一資科であるが、影読した結果は診療録に記載され、証拠資料として診療録に附属するものであり、かつ、診療録を構成する一部でもある。

仮りにレントゲンフィルムが独立した物件であるとしても、診療録との関係から民事訴訟法第三一二条にいう準文書に当たり、民事訴訟法第三一二条の適用があるところ、診療録と同様の性格から、専ら拘置所の自己の使用のために作成された物件である。

原決定においては、レントゲンフィルムにつき、民事訴訟法第三一二条以下にいう文書には当たらず、検証の目的物としているが、仮りにそうであるとしても、提出すれば後記三の3に記すような不利益をもたらすものであるから、提出しないことについて民事訴訟法第三三五条第二項にいう正当の事由にあたる。

三 診療録等を提出したときの不利益

診療録等を提出公開したときは、以下のとおり、大阪拘置所の管理ないし処遇上に重大な支障を生ずる。

1 願箋

(一) 願箋は、原則として被収容者が必要事項を記入して職員に提出する扱いとなつているが、記入された出願の趣旨により処理にあたる関係職員が願箋に押印し、かつ、処遇上、警備上の意見を書き加える場合があり、これが提出されたときは、拘禁関係の特殊性から関係職員が個人攻撃を受けるおそれが顕著である。

(二) 願箋には、被収容者の舎房名を記入させる扱いとなつているが、被収容者をどの舎房に収容しているかは、公開できない重要な事項であり、提出されたときは、警備上重大な支障がある。

(三) 診療関係の願箋は大阪拘置所では診療録の一部にのりをもつて貼付する扱いとしており、これを単独で提出するときは、願箋及び診療録の一部が破損するおそれがある。

2 診療録

(一) 診療録には、被収容者の心身の状況等が記載されているものであつて、医師を信頼して述べた健康状態を基にして診断し、作成されるものであるため、これが公開されるときは、被収容者等の人権を損うおそれがあるのみならず、医師に対する信頼関係に悪影響を及ぼし、真実の申立がなされなくなるおそれがあり、そのことは、集団生活である拘置所の衛生秩序の維持を困難ならしめ、ひいては、施設の適正な管理運営に重大な支障がある。

(二) 診療録には、一般病院のそれとは異なり、処遇上、警備上の参考となる事項、例えば、

「粗暴性があるので注意すること。」

「虚言癖があり、好訴性が強い。」

などの事項をも記載する扱いをしており、これが公開されるときは、新たな紛争が生ずる。

(三) 近時、被収容者が、保釈等の手続きのため医師の診察を受ける件数が増加しており、その際自己に有利な診断書を作成してくれなかつたとの理由から医師を告訴する傾向にあるが、診療録が公開されるときは、診療録に医師の押印があること、また、前記三の2の(二)に記載の内容や被収容者が予期する診断内容と異なる等から、医師に対する個人攻撃が増加することは必至であり、このことは、医師の勤務意欲を低下させ、退職につながり、ひいては、施設の医療体制に重大な支障をきたすおそれがある。

(四) 診療録には、他医療機関又は他官庁との連絡内容等が記載されている場合があり、他医療機関又は他官庁の同意を得ないで公開することは、施設の信用を失墜させる。

(五) 診療録には、一般病院のそれとは異なり、前記三の1の願箋の項と同じく、舎房名を記載する扱いをしており、公開できない重要な事項であり、提出されたときは、警備上重大な支障がある。

3 レントゲンフィルム

(一) レントゲンフィルム(以下「フィルム」という。なお、フィルムは収納袋に入れられており、これと一体となつて同一性を担保している。)には、舎房名を記載する扱いをしており、前記三の1の願箋の項と同じく、公開できない事項であり、提出されたときは警備上重大な支障がある。

(二) フィルムには、撮影を指示した医師の氏名及び指示内容が記録されており、これが公開されたときは、前記三の2の診療録の項(一)及び(三)の理由による支障が生ずる。

(三) フィルムには、釈放年月日、事由等が記載してあるが、これらの事項は人権上公開できないものである。

四 文書提出の必要性の不存在について

本人の病状については、昭和五三年八月四日付け大拘丙仮第八三二号「診療録の送付について(回答)」をもつて大阪地方裁判所第四民事部あて、本件診療録のうちから管理ないし処遇上の記載を除いて病状の大要を「病状回答書」と題する書面をもつて送付しているので、申立人の求めている目的は充足されており、また、充足されていないとすれば、不十分とされる部分につき照会をすることも可能であるから、ことさら本件診療録等について提出を求める理由は認められない。また、フィルムについても、照会があれば、拘置所担当医師による影読所見を回答することも可能であり、必らずしもあえてフィルムそのものを取調べる必要性はない。

おつて、訴訟当事者でない第三者しかも官庁に対し審尋にかわるただ一回の照会のみをもつて原決定をなしたことは十分審理を尽した決定とは言いがたく妥当を欠いたものと言うべきである。

別紙(二)

目録

一(1) 原告の昭和五二年一月二八日付診療願

(2) 同月二七日から同年二月四日までの間の診療録

(3) X線フィルム(三回分、五枚)

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